オフィシャらない話に文章を寄せるようになってから、
書き始める前には想像すらしていなかったある問題に、
毎回ぶつかっている自分に気がついた。
それは、『一人称をどう書くべきか』という事についてである。
つまり、『僕』を使うのか、『俺』を使うのか、『私』を使うのかという事だ。
これは些細な事のようで実にゆゆしき問題である。
これまでもオフィシャらない話に文章を書くたび、
一人称を書く場面で毎回、
「うっ・・・」
と筆が一度止まってしまっていたことを素直に告白しよう。
もちろんテクニックとして一人称を避けて書くことも出来るが、
多くの場合、文章がまわりくどくなる。
オフィシャルな話ならともかく、
オフィシャらない話でまわりくどい文章を書くというのは、
カッスカスになった二日目のフライドポテトと同様、
その存在意義さえ問われても致しかたない事態なのである。
そこで本日、
日本中から選りすぐった有識者のお歴々に
こうしてお集まり頂いたのは、
あらゆる視点から様々な一人称を分析し、
『オフィシャらない話』にふさわしい一人称を検討したいからなのである。
2008年3月7日。
ここに、第一回一人称検討委員会の開会を宣言する。
本日は、次にあげる代表的な5つについて検討したい。
●Entry No.1 『僕』
例文:僕は今日もエッセーを書く。
栄えあるエントリーNo.1はなんと言っても『僕』である。
現代日本で一度たりとも『僕』を使わずに往生できる男がいるだろうか、
というぐらいの、どメジャーな一人称だ。
『僕』という一人称で書かれた文章は、
人当たりの良さそうな、柔らかい人間を想像させる。
そんな優しげな人間像を演出したければ、是非とも『僕』を使うべきである。
しかし、一方で、
その何ともナヨナヨとした言葉の響きといい、
一人では何も出来なさそうな、
どこか頼りない印象を拭うことが出来ない。
小学校6年生、いや、5年生くらいから、
自分を『僕』と呼ぶ事に違和感を覚える男子は少なくない。
普段はもっぱら『僕』のくせに、気になる女の子の前でだけ
『俺』に変えて喋る一貫性のない男を見た時の哀愁は、
今も昔も変わらない。
●Entry No.2 『俺』
例文:俺は今日もエッセーを書く。
『僕』が一番ならば、二番目に検討するのは当然、『俺』であろう。
砕けた響きなので、普段使いに向いているし、
男性の間ではおそらく最も使用されている一人称でもある。
『俺』という一人称で書かれた文章は、
どこかワイルドで男らしい印象を伺わせる。
豪胆で大らか。
普段着は革ジャン。寝巻きも革ジャン。
整髪料はもっぱらツヤが出るタイプのワックス。
その豊かな胸毛にはどことなく風情が漂い、
あの松尾芭蕉がそれで一句詠んだとさえ言われるほど。
7泊8日の海外旅行でさえも、カバンは一つしか持っていかない。
(ただし、空港の金属探知機には必ずひっかかる)
そんな奔放で男らしい人間像を演出したいのなら、
是非『俺』の使用を勧めたいところだ。
しかし一方で、
トゲトゲしく、自分勝手でいい加減な印象を人に与える可能性も否めない。
友人同士ならいざ知らず、フォーマルな場には間違いなく向いていない
一人称である。
●Entry No.3 『私』
例文:私は今日もエッセーを書く。
『私』で書かれた文章は、とても誠実そうな印象を与える。
髪の毛は漆黒でセンター分け。
服装はもっぱら襟付き。
ご年配ならばロマンスグレイの髪にジャケットと言ったところか。
映画館で携帯電話は必ず電源から落とす。
横断歩道は必ず青になってから渡る。
なんなら、チカチカと点滅したらもう渡らない。
あらゆる意味で、思いっきり脱線することの無い
品行方正な人間像を演出したければ、
是非とも『私』の使用を勧めたい。
しかし、男性が私を使うとき、
特に文章においてはやや女々しい印象がある。
それに、特に若者が使う場合、品が良すぎるために、
普通に書かれた文章でも、どこか上から目線な文章に読めなくもない。
●Entry No.4 『Me』
例文:Me は today も essay を write する。
英語圏からのエントリーである。
『Me』で書かれた文章は、どこか浮世離れした、
豊かな感性の持ち主を連想させる。
・・・こともあるかも知れないが、
同時にやや絡みづらい人間像を彷彿とさせる。
ある特定の嗜好を持った方々以外には、あまりオススメできない。
●Entry No.5 『朕』
例文:朕は今日もエッセーを書く。
高貴な血筋からのエントリー。
『朕』で書かれた文章は、
無条件でやんごとない雰囲気を漂わすことができる。
その神々しくも気高い響きは、
もはや理屈抜きで読み手を服従させる崇高さがある。
しかも、書かれた文章が普通であればあるほど、『朕』の面白さが際立つ。
例えば、
「僕の部屋の生ゴミが臭い」は、大して面白くも無いが、
「朕の部屋の生ゴミが臭い」は、それだけでなぜか面白い。
ただ書くだけで面白いという、笑いとしては一流の一人称だが、
それと同じくらい一流の「とっつきにくさ」をも兼ね備えている事は
言うまでも無いだろう。
それはそうと、朕が書いたエッセーは是非とも読んでみたいものだ。
――方々、いかがであろうか。
これまで5つの一人称について検討してみたが、
どれがオフィシャらない話に最も相応しいか、腹は決まっただろうか。
一人称ひとつとってもこれだけ違う印象を与えるのだから、
考えれば考えるほど一人称の世界は深い。
またいずれ、委員会を開きたいと思うが、
その時までは、一番安定感のある『俺』で行くことにしよう。
ではまたその時まで。
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