最後の試合のシーンは、
脚本上ちょうど100番目に当たるシーンで、
スタッフとキャストの間では
『シーン100』と呼び合った。
シーン100の撮影中はタダならぬ緊張感が漂っていた。
北海道恵庭市にある体育館。
その突き刺ささるような張り詰めた空気にあっては、
風船ぐらいなら自ずからパンッ!
と割れたかも知れない。
本来映画は、カメラの角度を変えながら
役者さんに何度も同じ演技をしてもらって撮影していく。
1シーンに10カットあるとすれば、
それを撮影するために、役者さんたちは
ほぼ10回同じ演技を繰り返していると思っていい。
いや、ちがうな。そうじゃなかった。
それはすべて1テイクで撮影できればの話だ。
NGテイクもあったりするわけだから、
しかも、それ以外にリハーサルもやるわけだから、
本当は20回以上はやっている。
当然スタッフも、20回同じことが繰り返せるように力を尽くす。
食事をするシーンならば、役者は同じ料理を20回食べる。
スタッフは同じ料理を20回食べられるように準備する。
そうしてようやく一つのシーンができる。
そのシーンたちがたくさん集まって、ようやく映画になる。
だがこのプロレスシーンに関しては、
役者たちが本気のプロレス技を掛け合うのだから、
リハーサルは動きの確認だけにして、
本番はぶっつけでいかなければ
どう考えても役者の身体がもたない。
だからスタッフたちは、
どんな事があっても技術的なNGだけは出さないように
無駄口を叩くこともなく、神経を研ぎ澄ませて撮影に臨んだ。
その結果、風船が自ずから割れても不思議ではない空間になった。
シーン100の内容は、大まかな流れを西田さんとオレが考えて、
プロレスの動き、技の内容等はみちのくプロレスの
新崎人生さんが提案して下さった。
例えば、五十嵐がデビルドクロに教わった
アンクルホールドを極めるシーンは、
「この場面でデビルドクロから教わった関節技をきめたい」
という僕らのリクエストに、
新崎さんが「アンクルホールドはどうだろう」と
提案して下さる、という具合だ。
関節技は寝た状態で繰り出す技が多いから、
どうしても映像が平面的になるし、動きがあまりないし、
プロレスの知識を持たない観客(つまりオレも)から見ると、
どっちが技をかけているのかわからない、という欠点がある。
だから映像に向いていないのが悩みの種だった。
その点アンクルホールドならば、
立った状態でかける事ができるから映像が立体的になるし、
どっちが技をかけているかも明確にわかる。
かけている方が上にいて、
かけられている方が下にいる構造なので
それまで優位だったシーラカンズが劣勢になったという
表現としてもピッタリだ。
もう一例紹介する。
シーン100の試合中、レッドタイフーンが飛び出していって
五十嵐に渇を入れる場面がある。
そのためには、リング上にいるシーラカンズの二人を
何とかしてリング外に追い出さなければならない。
その際にどんな風にシーラカンズの二人をリング外に出すか、
これも悩みの種だった。
シーラカンズは無敵の強さを誇る二人組なので、
いくらレッドタイフーンがマリリン仮面より強いとは言え、
たった一人で最強の二人をリング外に出すのは難しい。
凄い技を繰り出して追い出してもいいのだが、
弱小プロレスラーがその場面だけとてつもなく強くなるのは、
それはそれでやっぱりおかしい。
そこで新崎さんは、一人をタックルで追い出し、
もう一人を、相手の勢いを利用して
リング外へと追い出す方法を提案して下さった。
こんな風に、新崎さんの提案して下さった技の数々は
ことごとく的を射ていたのである。
さらにシーン100の撮影中は、
新崎さんと、同じくみちのくプロレスの野橋真実さんが
付きっきりで現場にいて下さった。
この事がどれだけ役者たちを安心させたことか。
プロレス監修だけにとどまらず、
安全面での監修や、演出の提案などもして下さった。
その化学反応で明らかに演出的に向上したところがいくつもある。
五十嵐君のドロップキックの撮影時にも、
ドロップキックの踏み込みに関する提案をして下さった。
これは文章で説明するのは非常に難しいので、
気になる方は何かの機会に小泉と会った時に聴いて下さい。
あのドロップキックには
この映画のすべてが詰まっているので、
隆太にとっても相当なプレッシャーだった事だろう。
もちろんそのトレーニングにも、
みちのくプロレスの皆さんが連日指導して下さった。
この映画は、みちのくプロレスさんをなくしては
完成し得ない映画だったのである。
監督。こんにちわっ!
映画を創る。そう言った事に触れる事はありませんので、凄い大変なものなんだとつくづく感じてしまいます。
けど、その分出来上がった時は!って事なんでしょうね。
今では当たり前の様にDVDにメイキングが付いてきますけど、実は私・・・以前は観ない様にしていたんです。
何となくですけど、映画の中は特別な場所。例え演技であっても、映画の中にはその世界が在る。
なのでメイキングを観てしまうと、その映画の世界が創りものって言う再確認をしているみたいで、物語の世界が薄れてしまう様な気がしてたんです。
大げさですけどね。
でも最近は普通に観ます。
逆にそう言ったエピソードを思い出しながら本編を観ると、感動が増すこともありますのでね。なんて
投稿情報: ふるひ~JMW | 2008年8 月 7日 (木) 22:25
小泉監督の作品を見て、物を生み出すことってかっこいいと思いました!そして、自分の夢は物を作り出すのでもなく、生み出せるのでもないんです。示すことができないので、それを信念をもって夢と言えるのか不安です・・・
投稿情報: どぅ | 2008年8 月11日 (月) 00:39