と言っても、将来年金がいくらもらえるか計算してみました、
などと言う生々しい話をしたいわけじゃない。
映画や小説の事を説明する時に、
「リアル」とか「リアルでない」という言葉がしばしば使われる。
フィクションの創作を生業とする人にとっては
とかく敏感になってしまう言葉である。
この「リアル」という言葉、
語源はやはり英語の “real” なのだろうが、
同じ言葉であるはずなのに、日本語と英語では
その意味合いが微妙に違っていて、
たまにそれが混同して使用される。
端的に言えば、英語の real はまさしく「本当」という意味を指し、
日本語で使う時のリアルは「本当っぽさ」を指している。
ぽさアリか、ぽさナシかの些細な差が、
言葉の意味を考えれば、実に決定的な差となってしまっている。
観客は、映画館に入ると同時に
ある種の契約を交わしているのをお気づきだろうか。
それは、これからご覧になる映画はフィクションであり、
それを前提に楽しむという、
映画製作者との間に交わす暗黙の契約。
しかし、フィクションであるという前提がありながらも、
それでもなお、観客は映画にある種のリアルを求める。
「本当じゃないことぐらいわかってる、
でも可能な限り本当っぽく見せて私たちをドキドキさせて」
という不倫騒動さながらの観客との微妙な駆け引きに
映画製作者は日々、頭を悩ませ知恵を絞っている。
映画におけるリアルには、real に近い順に
次の4つの段階があると私は分析している。
(次回へ続く)
うーん、確かに。。。
観客が映画館に入るという時点でそれはもうフィクションであることは認識しているはず。なのに観客は小さなポイントを指しては「現実にはありえない」とのたまう。
はなから現実ではないことを理解しながら一方で現実ではありえないことに納得しない。
不条理ですね。
私もその不条理な観客の一人ですが・・・。
普段、スーパーマンがどこに衣装を隠し持っているか、なぜ電話BOXでの着替えを目撃されないか・・・そこまで現実的に映像表現したら物語の構成ができなくなりますものね。
さて、桃太郎侍の馬は、般若のお面は・・・ちょっと古過ぎ?
投稿情報: きのこ | 2010年9 月20日 (月) 12:57